日本の釣りの歴史に触れる「江戸釣百物語」!面白過ぎてあっさり読める釣り本紹介

四方を海に囲まれた島国である日本は、それは古くから釣りをしていたのだろうと思っていたが、意外にも歴史は浅く、武士や庶民の間に釣りが広まったのは江戸時代だったそうです。

このころの釣りがどのように行われ、どのような魚を釣っていたのかなどを記した興味深い書物を見つけて読んだ見たのでここであらすじだけご紹介します。




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江戸時代にはじまった釣り

この本「江戸釣百物語」江戸時代に広まった釣りにまつわる逸話や怪談など日本の釣り文化の根源を知るいいきっかけになります。

なぜ江戸の時代まで釣りが広まらなかっというと、それまでは殺生することに咎めがあった仏教思想が根付いていたためで、江戸時代に入ってから、特に江戸湾(今の東京湾)という近くに絶好の釣り場があったために釣りの道が開かれていったそうです。

江戸ではないが、庄内藩(今の山形県鶴岡市)では釣りと武芸は同等のものと考えられ、武士の持つスペックの高い刀を「名刀」と呼んでいたのに対し、釣り竿のことを「名竿」(めいかん)と言っていたそう。

江戸前釣りの釣り具の歴史

その頃の釣り糸は絹糸や白馬の尾と言ったもので作られたもので強度もままならずよく魚をバラしていたそうです。

漁師など限られた人でしか魚を釣ることは難しかったそうですが、しばらくして中国からテグスと呼ばれていた透明な釣り糸が伝えられたことで、釣りは武士の間で人気になったそう。

中でもいちばん自分がおもしろいと感じたのは、忠臣蔵の敵役である吉良上野介(きらこうずけのすけ)の娘婿は武士階級であるにもかかわらず立身出世を望まず、生涯江戸湾で釣りにのめり込んだということが記されているなど、

あまり歴史のことを知らない自分でも、読むほどに興味がどんどん湧いてきて先へ進みたくなるほど、楽しみながら読める内容でした。

庶民に広まった脚立釣り

脚立釣りを題材にした画が表紙になっている別の書物。

そして徐々に江戸の庶民にも釣りは広まり、江戸湾の干潟に脚立をたてその上に座ってアオギスを狙う「脚立釣り」が広まり、

脚立釣りは、東京湾の開発がすすみ干潟がなくなる昭和30年代まで、江戸の風物詩となっていたようです。

SNSのコメント=====
釣りは何より気分転換になるし楽しい。波間の浮きをゆるゆると手繰るだけでもおもしろい。釣果はあるに越したことはないけど、坊主でも楽しいのが釣りの醍醐味。

海軍の伝統とでも言うべきか、余暇で釣糸を垂らす事はまま有るようで、日本では舞鶴で東郷平八郎が。
珍しいところでは「置いてけ堀」の錦糸町辺りならまだしも、昭和天皇の侍従長を勤めた藤田尚徳が直々に、皇居のお堀で釣る事を認められていたとか。

江戸の市中は水上運輸が発達してて、今の東京よりも水路が張り巡らされ、釣糸を垂れているとアシカや鱶が針に食いつく事があったそうですね。