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秋田美郷町にある小学生たちが、絶滅危惧種に指定されている「イバラトミヨ」の住処を守ろうと学校の敷地内にある池を清掃した。
子供たちは池の清掃にあたり、イバラトミヨ以外にもさまざまな水の生き物を発見しながら、男子生徒たちは少々興奮気味に池の掃除を楽しんでいました。
出典:秋田テレビ
イバラトミヨは西日本ではあまり馴染みのない魚です。生息地は新潟県よりも北の日本海側から青森県より北の太平洋側と太平洋側の北海道に生息しています。背中のとげがいばらのようにとげとげしていることからこの名がついています。
イバラトミヨ雄物型は、絶滅危惧種に指定されています。この千畑小学校の池には、多くのイバラトミヨが生息していました。
こういった豊かな自然に囲まれて育つことができる子供たちが羨ましいと同時に、自然環境を守っていくことの大切さを学ぶことができる貴重な体験をしたことでしょう。
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都会ではこういうことほぼ経験しないでどこか抜けた大人になるからね。このような田舎で育つと感性豊かで魅力的な大人になるので良いと思いますよ。
自然豊かな池が小学校の中にあるなんて素敵な話ですね。日本の中にあって今では貴重な生態系を有する池の自然を一生懸命守る体験は、子供達にとって大きな宝物となるのでしょうね。
私が幼かった頃、秋田の田舎では、イバラトミヨだけではなく、八つ目うなぎ、うなぎ、雷魚、沢蟹、タナゴ、ふな、なまず、どじょう、川えび、モクズ蟹、タニシなどが、家の前の小さな池や、田んぼの用水路に沢山いた。農薬散布、特にヘリコプターによる農薬散布が行われる様になってからは、農薬散布の度に魚が大量に川に浮いて死んでいた。何年か経つと死んで浮く魚すら居なくなった。川という川はほぼ全てコンクリートで固められ、それまでは多くの水草が生えていた川底や川の淵には植物が無くなり、産卵場所や小さな魚の隠れ場所などが無くなった。あれから約50年、今はほんのわずかにアメリカザリガニと小さなどじょうを見かけるだけになった。タニシがいなくなったせいか、沢山のホタルが舞っていた川縁の風景には、1匹のホタルも見なくなってから40年は過ぎていると思う。私達の世代が子供達に伝え、残すべきことは沢山ある
都会から田舎に引っ越して来て転校、我が子がビックリして発した言葉が、校庭に白い線とか緑や赤の色がない!でした。鶏がいるんだよ!とか学校に木が生えていたよ、とか色々と騒いでいました。私も夏休み中に学校へ行って、あまりの広さに迷子になりかけました。
非常によい経験が積めたと思います。高度成長期の前はかなり都会でも珍しい生物が沢山いましたが、人間が暮らすと自然はどんどん減ってくるのを感じています。子供達には頑張って池を守ってもらいたいものです。
都民ですが、今の若い人や子供たちはダンゴムシやセミすら触れない弱々しい人ばかりになりましたね昔はよく見たのに今は見なくなった生物っていっぱいあったと思う。モンシロチョウ今年見てないなセミってうるさいなぁって思うけど、鳴かなくなったら、日本の環境終わりですよ日本人も今後の未来等の環境に対応できなく人口も減り続ける。世界から見て日本人が貴重な人類とされる未来は嫌だなそれをするのは政治家なのだが・・
こういったフィールドワーク的な活動は、もちろんエコロジー(環境学)的な意味合いは決して小さくはないですし、子供たちにとっては教育的側面に限らず、極めて意義深く重要なものでしょうね。
美郷町は湧水の町として知られ、多数の湧水水路が走っております。トミヨ属雄物型は、それらや、いくつかの湧水溜池などにもおりますが、田んぼの間の三面護岸のコンクリ水路にもいます。あるコンクリ水路では、水路起点付近では流れが緩やかですが、最終的には流れの早い水路に合流し、もっと大きな非常に流れの強い用水路に注ぎ込みます(そしてトミヨ属は早い流れは苦手)大雨で増水した時や、農家さんが水路を除草したときに逃げ込んで溜まる場所が下流にあるので、そういう時に秋田にいったら掬って上流へ戻します。水さえ冷たければ、冷水魚にしては比較的水質にはうるさくない方ですが特別なこだわりがなければ、生息数の多いところで普通のトミヨを捕まえるのをお勧めします。